大判例

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東京地方裁判所 昭和46年(ワ)3057号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕二 事故と責任

右争のない事実、および<証拠>によれば、次の1ないし3の事実が認められる。

1 事放現場は、田無方面と所沢方面とを結ぶほぼ東西に通ずる道路上で(以下田無方向を東といい、その他の方向もこの例による。)、右道路は、附近では、幅員約6.3メートルで、舗装され、歩車道の区別がなく、概ね直線で、両側は畠地の中に人家が点在する。

事放現場南側に三陽ベニヤ商会東村山支店があつて、道路に接して道路と同じ平面の空地がある。

2 乙車は、車幅約1.69メートルで、当時エンジンの過熱のため、右空地から道路にかけ、車首を西に向け、ほぼ道路に平行して車体右側が0.7メートル位道路にはみ出して駐車していた。

3 甲車は、幅約2.49メートルで、時速四〇キロメートル位で東進し、事故現場附近において先行する三輪自動車(ミゼット、幅約1.295メール)が道路左端から約0.8メートル(車両左端で)を低速で進行していたのを追い越すため、その右側(横の間隔で0.3メートルを下らないあたり)を進行し、その右前部で原告を十数メートル先まではねとばした。<中略>

三 損害

(一) <証拠>によれば、次の事実が認められる。

1 原告は、昭和一六年七月生で、二級の自動車整備士の資格をもち、自動車修理工の職歴をもつが、昭和四〇年八月以降関東電気工事株式会社の下請電気工事業者寺田伸一郎のもとで電工として就労し、同会社の常用工の待遇を受けている。(事故当時の所得額が日額一五六一円であることは当事者間に争いがない。)

2 原告は、事故により、その主張のような傷害を受け、その主張の期間入院した後、相生市半田外科病院医師半田祐彦のもとに通院加療した(昭和四五年一月まで三七四回通院)。その後現在もなお週一度位同医師に受診し、注射や薬物により後記の痛みを緩和している。

3 原告の症状は昭和四五年一月頃には殆ど固定し、もはやその回復は生涯ほとんど期待できない状態となつた。その後遺症状は、概ね原告主張のとおりである。その頃原告主張のとおり労災給付の認定がされた。

4 原告の就労関係についていえば、前記主治医の「いつまで遊んでいてもよくならない」との意見から、その世話で同医師に縁のある相生市の有限会社半田商会に昭和四四年四月以降勤務して、自動車整備員の指導等に当つている。なお、肉体労働には従事していない。右勤務は、体調に応じて適宜勤務をするいわゆる自由出勤の状態である。前掲苦痛に堪えながら通勤勤務しており、同社の同僚から勤務上の特別扱いに対する風当りも無視できないものである。給与は日給一八〇〇円である。<中略>

(三) 逸失利益(昭和四六年以降分)

二二七万七二一六円

(一)に述べた事実によれば、原告は昭和四五年末現在二九才であるから、事故にあわなければ、六三才までの間(三四年間)は稼働可能であつて、その間引続き事故前同日額一五六一円の所得を得たものというべきところ、(一)2、3の後遺症状の程度、同1の経歴技能や同4の就労状態などを総合検討すれば、現在においては原告には相当額の収入があるものの、右は原告自ら苦痛に堪えての就労によるもので、また、右職場も医師、経営者等の特段の理解により漸く獲得、維持されているものであつて、常識的にいえば、原告には就労の機会の維持確保は至難のこととみるのが相当である。以上の事実から右期間を通じて就労収益能力の九割を本件事故による後遺症状のため失つたものというの相当である。

してみると、原告は、昭和四六年以降毎年五一万二七八九円(日額一五六一円の三六五日分の九割)の所得を失うところ、労災保険金年額三七万四六四〇円(原告主張三(二))を控除すれば、年額一三万八一四九円が毎年の逸失利益となる。これから、本判決言渡に至るまで単利ホフマン方式で、その後は複利ライプニツッ方式で年五分の割合による中間利息を控除して訴状送達の日の現価を算出すれば、頭書金額となる。(高山晨)

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